About us 琵琶湖ホテルについて
たとえ時代は変わっても、豊かな水を湛えた
琵琶湖と、周りに広がる緑の山々は
いつの時代も変わらず多くの命と文化を
育んできました。
そんな緑豊かな里山に抱かれた
琵琶湖とのほとりにたち
刻々と移り変わる時代の流れを、
琵琶湖ホテルはともに見守り続けてきました。
昭和9年(1934年)10月、風光明媚な水辺の景勝地として知られる大津に、国策として海外要人を招くため、全国の主要な観光地に建造された国際観光ホテルのひとつとして開業しました。設計は、大阪中之島の中央公会堂や東京神田の再建ニコライ堂などを手掛けた建築家、東京美術学校の岡田信一郎氏の事務所に委託され、弟の捷五郎氏が担当。柳が崎の景観と調和した桃山風破風造を特徴とした昭和モダンなホテルとして設計されました。当時の宿泊料金はシングル5~15円、ダブル8~22円、食事料金は朝食が1円、昼食2円、夕食2円50銭という設定でした。
戦後進駐軍に接収された時期がありましたが、時代の変遷の中、滋賀県の迎賓館としての役割を果たし、地元の方々の人生のベースキャンプとして、お客様お一人お一人をお迎えしてきたことが私たちの財産になっています。往時を髣髴とさせる和風バンケットホール、ロビーのシャンデリア、手動式エレベーター、キーボックスなども閉館まで現役で活躍しました。
設計 | 岡田信一郎事務所、岡田捷五郎(弟)担当。 |
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施工 | 清水組(合資会社) |
営業 | 昭和9年10月27日~平成10年8月24日 |
施設概要 (オープン当初) |
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昭和20年(1945年)8月、日本の敗戦を受けて、マッカーサー指揮のもと、連合軍総司令部(GHQ) が横浜に設置されました。西日本においても京都に司令部が設置され、琵琶湖ホテルは日本政府が賃借したうえで提供するというかたちで、昭和20年(1945年)9月30日、進駐軍に接収されました。戦後の混乱期のなか、アメリカ軍を通して異文化に接することになったのです。とりわけ目を引いたのがプールの建設。竣工式以来、京都のホテルからもバスで訪れるアメリカ軍とその家族の姿に地元の人々は目を見張ったそうです。
そのほかにも、自転車、ベビーゴルフ、テニスコートなどアメリカ軍の保養客のためにさまざまな娯楽施設が準備されました。土曜日ごとの「スキヤキパーティー」や「感謝祭パーティー」、「クリスマスパーティー」などのイベントも宴会場「桃山」で盛大に開催されていました。
昭和20年代 旧ホテル プール
創業から50年という節目を迎え、滋賀県を代表するホテルとして、新時代にも対応すべく客室の増設やレイクサイドホール、プールなどの設備を新設。新旧の建物が巧みに調和しながら、琵琶湖畔の別天地を形成しました。格調の高いホテルの証として、常に滋賀県及び大津市の迎賓館としての役割を担ってきた琵琶湖ホテル。琵琶湖をのぞむ美しい自然と豊かな文化遺産の恩恵を受ける当ホテルは、天皇、皇后両陛下、皇太子、同妃両殿下をはじめとして、昭和56年(1981年)にはタイ国王妃、王女ご一行が宿泊されるなど、国内はもとより外国からも多くの賓客をお迎えしてきました。また、ヘレン・ケラー、ジョン・ウェイン、川端康成などの著名人も数多く訪れました。
高度経済成長期の日本の観光ブームを象徴するものに「万国博覧会」があります。昭和43年(1968年)9月~11月にかけて開催された「びわこ大博覧会」は、昭和45年(1970年)の日本万国博覧会に先駆けて行われた、大津市制70周年、県政100年の記念行事。会期中の来場者は98万5千人を数え、また新生日本を広く内外にPRする気運も生まれました。
当時使用されたホテルの英文パンフレットの表紙には円山応挙の「孔雀と牡丹図」が採用され、あえて日本文化の深みを強調した形に。誌面にはホテルのご案内のみならず、周辺の観光案内なども盛り込まれ、世界各国からのゲストを受け入れる国際ホテルとしての地位を確かなものにしていたことがわかります。
英語版ブローシャー
1982年(昭和57年)4月29日に就航した、びわ湖を代表する遊覧船、ミシガン。滋賀県と姉妹都市提携をしているアメリカ・ミシガン州との国際親善を祈念して、ミシガンと命名されました。
琵琶湖ホテルは就航と同時に「ミシガン」における船内営業を受託。当時はまだ珍しかった「外国」を琵琶湖で体験してもらおうと、ベルサイユ宮殿調の重厚で豪華な内装を施したり、洋食調理の充実を図るため調理長をホテルオークラから招聘。また、ミシガン州から日米両国の文化交流と友好親善のために国際研修生として来日した20名の学生が接客を行うなど、美味しい食事と行き届いたサービスで、大きな話題となりました。
就航当時のミシガン
浜大津再開発事業を契機に平成10年(1998年)10月1日浜大津に新築移転オープンしました。旧ホテルからの伝承は今もホテルの各所にちりばめられています。ロビー階にあった和風バンケットは同じくロビー階のフローリングの宴会場として、ロビーでお迎えする海女の像などの美術品も旧ホテルから引き継がれ、お客様のくつろぎの空間を演出するのに一役買っています。また、“雪月花”“近江八景”“山野草”などをテーマに名付けられ、旧ホテルから使われてきた施設名も踏襲されています。伝統に息づく心の繋がり、そして、美しい景観・爽やかな風・豊かな湖の幸をもたらしてくれる琵琶湖を大切に、お客様をお迎えして参ります。いつでも憩える安らぎとくつろぎの場所として。
基本構想 | デザイン監修:シーザー・ぺリ&アソシエーツ |
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設計管理 | 竹中工務店(内装設計) |
施工 | 竹中・銭高・京阪 共同企業体 |
営業 | 平成10年10月1日~ |
施設概要 |
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琵琶湖周辺の恵まれた自然環境を守り、美しい景観と豊かな生態系を未来につなげていくために、琵琶湖や里山をはじめとした滋賀の自然環境を大切にすることは、琵琶湖とともに歩む琵琶湖ホテルのミッションのひとつであると考えています。平成12年(2000年)、国際社会が直面する主要な環境問題について意見交換を行う「G8環境大臣会合」の会場に選ばれ、各国の環境担当大臣が一堂に会し、議論が交わされました。また、2007年には水産資源の保護・管理と海や湖沼・河川の環境保全の大切さを啓蒙する「全国豊かな海づくり大会」が琵琶湖ホテルで開催され、天皇皇后両陛下をお迎えしました。
琵琶湖や里山など美しい景観と豊かな自然環境を未来へとつなぐために、琵琶湖ホテルは自然環境に対する高い意識を持ち、さまざまな取り組みを続けています。
平成12年 G8環境大臣会議
令和元年(2019年)、4階の一部をプレミア・ラグジュアリーフロア「Vista(ビスタ)」に改装。“Local Experience with Fabulous View”をコンセプトに、湖国の迎賓館として育まれた琵琶湖ホテルの伝統と、眼下に広がる雄大な琵琶湖、それを取り巻く豊かな自然・文化に触れていただき、ゆったりとした時間が流れる特別なひとときをご提供するため、湖畔の景色を堪能できるビューバスを導入するなど、モノからコトへの観光需要に対応するべく、地元・琵琶湖ホテルならではの様々なアクティビティをご提案。また、令和3年(2021年)には琵琶湖ホテルの立地を活かした自然の中でゆったりと、癒しのひとときをお過ごしいただける「クラブラウンジ」が誕生。プライベートチェックインをはじめ、ウェルカムサービス、ティータイム、カクテルタイム、朝食まで滋賀県産にこだわったおもてなしをご用意し、クラブラウンジでしか体験できない非日常な空間とサービスでお客様をお迎えしています。
昭和9年(1934年)10月、風光明媚な水辺の景勝地として知られる滋賀県大津市に開業して以来、時代の変遷のなか、迎賓館としての役割を果たし続けてきた琵琶湖ホテル。ヘレン・ケラーやジョン・ウェイン、川端康成など、数多くの著名人などを迎えてきた姿はまさに湖国の迎賓館といった趣を見せています。また、ヘレン・ケラーが滞在時に植樹をされた桜の木は、新築移転の琵琶湖ホテルにも受け継がれ、接ぎ木をしながら、現在も孫桜として継承されています。
琵琶湖ホテルは、これまで築き上げてきた歴史と伝統を守りつつ、次の時代へと繋ぐべく新たなサービスにチャレンジ。お客さまへの「感謝」と「未来」をテーマに、『人と街と自然がつながるSDGsな未来へ』をコンセプトに掲げ、滋賀・琵琶湖の豊かな未来へと、地域とともに歩んでいきます。